TAK_610が語る

サッカー、旅、食べ物、モノなどなど、いろいろ語ります

レッズ観戦記 番外編 サポーター論

慶應義塾高校の甲子園優勝。母校の大活躍に胸が熱くなり、現地観戦はかなわずも画面に釘付けになり、優勝した後に塾歌を歌いながら涙が自然に。

そして気づきました。レッズサポーターをしている気持ちが。サポーター一体の応援がチームに力を与えることを学生の頃から身に染みているから、そういう応援ができるチームをサポートしたくなるのだと。

甲子園では慶應側の応援が物議を呼んでいますが、一体、何が悪いのか。母校を応援したくて自発的に自費で一般席のチケットを買って集まったOB、応援スタイルは学生時代にたたきこまれているから、外野席にいようが応援席に合わせるのは簡単だしごく自然。一体となって声を合わせる応援は日本のスポーツ文化でもあるので、その良さを規制してほしくはありません。不公平というなら、選手を推薦で集めていることの方がそうしない高校とではるかに不公平。応援を規制するならアルプス席以外はコロナ禍のような声出し禁止にすることになるのでしょうが、歌は歌わなくても歓声は止められないのでどれだけの効果があるのか。入場制限はチケット購入者のスクリーニングはやりようがないのでムリ。

応援が物議を呼んでいることではレッズも同じ。埼玉スタジアム全体が一体になるコールがどれだけ力になっているのかは世界が知っています。このことは慶應と違って批判もされません。プロスポーツはそもそも、チームづくりの時点で平等ではないことを許容しているし、ビジネスとしてもホームゲームはより多くのサポーターに来場してもらうことを目指すので、そういうシチュエーションを作るのがむしろ理想です。

問題は声出し応援に止まらずに暴動騒ぎをくり返すこと。これを許せば、サポーターが離れることにもなるので、JFAの裁定にかかわらずクラブの自浄作用として対処すべきです。暴力行為が確認された以上、特定された輩の無期限来場停止は当然の処分です。自主的な無観客試合をするのもクラブの姿勢としてわかりやすく、サポーターに重大性を認識してもらえる効果もあります。悪いのは暴徒化したごく一部の輩で、大半のサポーターにも、クラブにも罪はありません。ましてや、選手には何の責任もありません。勝点剥奪、降格処分や天皇杯出場停止といった処分で選手が犠牲になるのは避けて欲しいと思います。

平和にスタンドが一体となってチームをサポートする応援は日本が世界に誇れるスポーツ文化です。この文化は大事にしていきたいという気持ちです。